詳しい説明
カイロプラクティックの歴史
カイロプラクティック
1895年、米国アイオワ州に住むD.D.パーマーによってカイロプラクティックは誕生しました。
D.D.パーマーは、2年後の1897年に世界最初のカイロプラクティック・スクールをアイオワ州・ダベンポートに設立しました。
カイロプラクティックの発展
1905年には息子のB.J.パーマーが世界最初のカイロプラクティック・スクールを
パーマー・スクール・オブ・カイロプラクティックとし、
より科学的に追求する為に、レントゲンを1910年に導入しました。
B.J.パーマーは「何処の椎骨が原因なのか?」という事を常に考えていました。
「いつ?」、「どこを?」、「いかにして?」、「なぜ?」
アジャストするのか?が彼の常なる悩みでした。
しかし、レントゲン導入以降、
彼は環椎(アトラス・第一頚椎)の治療に集中するようになりました。
当時これをH.I.O(ホール・イン・ワン)テクニックと呼び、
パーマー大学は1919年には2000人の学生が学ぶ学校にまで発展しました。
カイロプラクティックの進化
また、1929年(昭和4年)には環椎の軸転(ねじれ)変化について解明され、
1933年(昭和8年)にはレントゲン撮影にバーテックス(頭頂像)が導入されました。
H.I.O(当時ターグルリコイルテクニック)を不動のものとしました。
その後、このレントゲン分析を基に
「より少ない力」で「より効果的」な治療法を追求し、
グロスティック博士により、新しいレントゲン分析法が考案されました。
そして、ジョージア州アトランタのスウェット博士によって、
アトラス・オーソゴナル・テクニックが考案されたのが1980年でした。
スウェット博士は、より患者さんに体の負担が少なく、
安全で正確に出来るように考案されたのが、
パーカッション(AO Handheld Percussion Instrument)と
アトラス・オーソゴナル・テーブルです。
日本でアトラスオーソゴナルカイロプラクティック
日本では病院以外ではレントゲンを使うことは出来ません。
しかし、瀬賀先生が何とか日本でレントゲンを使わず正確に出来ないかと、
十数年をかけて研究し臨床されて、触診による頚椎の歪みと上部頚椎の変位、
第一頚椎の傾きとねじれを正確に、検査できる手法を確立されました。
現在も、もっと正確に誰でも確実に出来るように研究され、
セミナー等で私達に指導をされています。
アメリカでのセミナーでは毎年プレゼンをされ、臨床例や治療直後の変化とアトラスオーソゴナルカイロプラクティックの有効性などの発表をされています。
今ではロイ先生を始め、アメリカのカイロプラクティックドクターにも一目置かれる存在です。
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